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越谷市ソフトテニス連盟の歴史

 

□ 越谷市ソフトテニス連盟の歴史

 

市議会議員となった初代会長の永野勝美氏と、軟式庭球愛好家が中心になり【越谷市庭球連盟】が昭和42年(1967年)に創設された。当時、市営コートは現北越谷第4公園の一部に1面半しかなかった。東越谷第2公園に4面のテニスコートが完成するまでは、連盟主催の大会は立正女子大学(現文教大学)や越谷高校のコートを拝借して行われていた。

 

その後、テニス教室等を通じて会員も増えていった昭和49年(1974年)には、愛好家たちが始めていた硬式テニス人口が増えてきて、体育協会に加入を申し入れたが、当時は体協に2つテニス団体は承認されなかったため、硬式テニスを受け入れ、軟式硬式を併せた運営を始めた。しかし、上部団体も別の組織となっていることから、昭和55年(1980年)に「軟式庭球連盟」と改名し、硬式テニス部は「庭球協会」として独立した。

 

一方、昭和48年(1973年)には「家庭婦人テニスクラブ」、その後、公民館の軟式テニス教室から発展したテニスクラブもでき、昭和51年には「家庭婦人軟式庭球連盟」(その後、越谷婦人STC)がレクリェーション協会の一員となった。そして上部団体への参加、日蓮、あるいは県連主催大会に参加するために、連盟の団体会員として活躍している。

平成4年(1992年)、日連の名称変更に伴い、我が市連も【越谷市ソフトテニス連盟】と改称した。平成5年には昭和初期の日連創設以来のルールの大幅な改正が行われ、翌平成6年4月に正式ルールとして採用された。
 

従来は前衛・後衛が明らかに違う役割を受け持ち、それぞれの技術を専門的に向上させていった。試合方法においても、一般的に後衛がサービスを受け持ち、前衛はネットプレーを主たる役割とした。しかし、この改正では、インプレーのポジショニングは従来と同じで良いが前後衛の区別無く、ペアの両者がそれぞれ2本ずつ交互にサービスする。
 

また、従来はサーバーのみが位置を規制されていたが、今回の改正ではレシーバー以外の選手は全てバックラインの後方に位置していなくてはならない。その後、更に若干のルール改正があり、「レシーバー以外の選手は全てバックラインの後方に位置していなくてはならない」が削除された。
 

ソフトテニスの試合は通常7ゲーム又は9ゲーム
マッチで行われるが、3ゲームオール、或いは4ゲームオールで迎えたファイナルゲームも4ポイント先取方式だったが、改正後はファイナルゲームのみ7ポイント先取に変更された。また、従来はファイナルゲームでもサービス、コートのチェンジは行われなかったが、改正ルールでは2本毎の交互サービス、またコートチェンジも行われることとなった。

 

更に、スコアシートも様式が一新され、記入方法も変更された。
ルール以外の技術等級においても従来1~9級まであった等級を1~4級に纏められた。

 

大幅なルール改正から10年経過後、一部見直しが必要になり、より完全なルールとするため、更なるルールの変更がなされた。その主な変更点は次のとおり。
 

前回の変更で、「レシーバー以外はバックライン後方に位置していなければならない」とするところを、元々のルールに戻し、「サーバー以外は位置を制限しない」とした。これにより、攻防方法に変化が生じ、より白熱した、魅力ある試合が多くなった。

 


□ 10年間の活動状況
 
この10年の活動として、先ず対外試合に積極的に参加している。
団体戦としては、

 

1.埼玉県クラブリーグ
旧クラブ対抗戦だが、ベストメンバーが揃っていた絶頂期には2部リーグまで昇格したが、近年はパワー、スピードの若手の揃ったチームに経験とテクニックで対抗しているが、ベテラン構成の越谷クラブは苦戦を強いられ、下部に甘んじている。

 

2. 四地区対抗定期ソフトテニス大会
昭和48年(1973年)、近隣市連との交流を深める目的で、春日部市、草加市、そして草加市と定期交流戦を行っていた東京都の東久留米市の四市で始められたが、昭和57年より東久留米市に代わって岩槻市が新たに加わり、毎年定期的に行われている。岩槻市がさいたま市に属してからは4地区大会とし、今年で46回を数える。

 

以上が主な団体での参加だが、その他にも個人戦には多数の選手が各大会に積極的に参加している。
 

個人戦では毎年、県予選を勝ち抜き、関東大会等への出場を果たしている。特に65歳以上のシニア部門においては、県上位にランキングされている人達もいて、全国大会にも出場している。
また、近隣市連が開催している大会にも積極的に参加し、好成績を収めている。

 

 

一方、越谷市が33万人の人口を有する県東部の中核的存在として、当連盟では、県連盟主催事業の一つである「埼玉県社会人ソフトテニス大会」の春季大会を主管し、県内各地から多数の選手が参加している。

 

当連盟の主催事業として、

 

◎連盟杯争奪戦
連盟発足当時から年2回開催し、今年で95回を数える。

 

◎市民ソフトテニス大会
市民体育祭の一環として、毎年開催。この大会は連盟会員だけでなく、越谷市在住、在勤、在校であれば誰でも参加できる。今年62回を迎える。

 

◎欅杯ソフトテニス大会
平成2年(1990年)、近隣市町との親睦を深める目的で、当連盟が主催し、近隣7市町限定、各市町連盟に属している者という限定資格条件で始まった大会である。昨今の状況から、参加者が見込み数を下回ってきていることから、4年程前からオープン参加として門戸を開放して広く参加者を募集している。

 

◎市内中学生ソフトテニス大会
中学生の技術向上、マナー習得を目的として昭和63年(1988年)から毎年7月上旬に開催し、今年で30回を数える。市内全中学校が参加している。

その他に、小学校高学年を対象として活動していた「ジュニアソフトテニスクラブ」を14年前に正式に当連盟の下部組織として受け入れ、各連盟主催の大会にはジュニアの部を設けている。

 

10年程前から、入会を希望する中学生が増えてきたため、中学生の連盟加入を容認し、毎週日曜日には連盟役員によって技術だけでなく、挨拶等を含めたマナーも指導している。

 


≪現役員≫

会   長       河辺 和男

副会長兼理事長  薗田 明彦
副理事長       塩崎 圭由
理   事       細見 史子
  〃         若   典子
  〃         大倉 金悦
  〃         高橋 祐貴

  〃         小平 耕司

  〃         草野 純一

  〃         遠藤 洋平

  〃         冨倉 春枝
監   事       石井 美子
  〃         儘田 和清

 

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